子どもオンブズ・コラム令和元年5月号 ピッピの声を聴く

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ページ番号1008767  更新日 令和1年5月21日 印刷 

ピッピの声を聴く

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堀家オンブズのイラスト

 大学生に、「学校で学んだこと」をたずねてみますと色々と出てきます。「友達の大切さ」「特定の教科のおもしろさ」「部活での青春」などなど。けれど、最も多くきかれるのが「忍耐力」「試練」「我慢」など、抑圧状態への耐性について学習した、という意見です。「学校で“学んだ”こと」ですよ?学校に大きな期待を寄せている私としては、少し残念な気持ちになってしまいます。学校で身についたのは、「世の中の理不尽さに耐えること」???
 たしかに、学校のなかは子どもたちにとって理不尽なことだらけです。それらに耐える力がつくのは当然でしょうが、それが学校についての最大のメモリーであるとしたら、残念なことといわざるを得ません。

 「わたしたちも、ピッピとよびましょう。それでは、さいしょに、算数のもんだいをしましょうね。ピッピ、七たす五は、いくつですか?」
 ピッピはきょとんとして、おこったようにいいました。
 「あんたが知らないことを、なんであたしが教えなきゃいけないの?」
 生徒たちはおどろいて、ピッピを見つめました。
 「ピッピ、学校では、そういう口のききかたをしてはいけません。あんたじゃなくて、先生とよびましょうね。」
 「ごめんなさい。あたし、知らなかったの。これからは気をつけます。」
 「そうしてくださいね。七たす五は十二です。」
 「なんだ、知っているんじゃないの。なのに、あんた、どうしてきいたの。あ、しまった。また、あんたって、いっちゃった。ごめんなさい。」
 ピッピはあやまり、自分の耳をぎゅっとひっぱりました。
 先生はきこえなかったふりをして、またききました。
 「ピッピ、八たす四はいくつ?」
 「六十七ぐらいかな?」
 「ちがいます。八たす四は十二です。」
 先生はいいました。
 「やだ、おばさん。さっき、あんた、七たす五が十二だっていったばかりなのに、どっちなの?あっ、また、あんたって、いっちゃった!ごめんなさい。」
 先生は、これ以上ピッピに算数のもんだいを出してもむだだ、と思いました。

(『長くつしたのピッピ』より)

 これは、スウェーデンの児童文学『長くつしたのピッピ』のなかの「ピッピ、学校にいく」という話の一部です。力持ちで大金持ち、少し風変わりな女の子ピッピは9歳になりますが、学校には行っていません。ある日ピッピは隣人であり友人でもあるトミーとアンニカに誘われ、学校に行くことになります。友人たちは「ぼくたちの先生って、とってもやさしいんだよ。」「学校って、とってもおもしろいとこよ。」とピッピをけしかけ、学校に行かせることに成功します。けれど、このやりとりを見る限り、先生はちっともやさしくありませんし、学校もおもしろいところではなさそうです。少なくともピッピにとっては。
 先生の態度に注目してみましょう。先生はピッピの問いに対して話をすり替えたり聞こえなかったふりをし、何一つ応えようとしていません。物語の中でピッピの学校体験はしばらく続くのですが、そのエピソードも散々なありさまで、最終的にピッピは先生に「お行儀が悪い」とラベルを貼られ、「あなたがもう少し大きくなったらね」と学校から体よく追い出されてしまいます。まさに理不尽さのオンパレードです。
 この物語に出てくる先生はちょっとひどすぎますが、わたしたち大人は子どもとの関係において同じようなことをやってしまっているのではないか?時々そう思います。そして、ピッピほどあからさまでないにしても、大人の理不尽さや世の中の矛盾に対して異議申し立てをしたい子どもは山ほどいるのではないでしょうか。学校のなかを覗いてみますと、一見トミーやアンニカのような子どもが多いように思いますが、じつはそうした子どもたち一人ひとりのなかにピッピは住んでいる、そんなふうに思います。だからこそ、冒頭に書いたような意見がたくさん出てくるのです。けれど、ピッピのようにふるまってしまえば、それは大人によって「問題行動だ!」とみなされてしまいます。あるいは「空気が読めない」「何らかの心身の課題を抱えているのではないか?」などと思われるかもしれません。だから多くの子どもたちは自身の主張を押し殺して「耐える」ことを(学校の中でとても大切なこととして)学習するのです。
 こうしたことについておもしろいことを言っている記事を最近みつけました。20万人近くのフォロワーを集めるある若手女優さんがSNSでこんなことをつぶやいていました。「学校は、社会の理不尽さに耐えるところではなく、理不尽さに抗う力をつけるところだ」というようなことです。例えば、彼女はおかしな校則についてこんなふうに解釈します。「ツーブロックやポニーテール禁止なんかは、ガキのくせに色気づいてんじゃねーよ、という大人の嫉妬でしかない」「下着の色は白、だなんてどうして他人に下着の色を知られなきゃいけないの?下着の色が白であることよりも、色を聞かれたり言わされたりする行為そのものが気持ち悪い」など一刀両断、まさに現代のピッピです。
 大人の側からすると、ピッピの主張はとても耳が痛いことです。また、学校には学校の制約があり、性質上、どうしても大人の言い分を通してしまわなければならない側面も持ち合わせています。しかし、大人側の理不尽さや世の中の矛盾について子どもたちと対話を重ねていくこと、ピッピの声を聴き続けることがわたしたち大人にとって大切なことであると思っています。

参考:A.リンドグレーン作 角野栄子訳『長くつしたのピッピ』2015年 ポプラ社

執筆:オンブズパーソン・堀家由妃代(ほりけゆきよ)

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