子どもオンブズ・コラム令和3年4月号 子どもの声を聴く

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ページ番号1012731  更新日 令和3年4月19日 印刷 

子どもの声を聴く

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  堀家オンブズパーソンのイラスト

 

 コロナで混乱したままの1年が過ぎ、ぬるっと新年度が始まりました。子どもたちにとっての「春休み」…休みといいながら一定の緊張感を強いられる時間が続き、これを休みといえるのかと思っている間に、そうした期間も終わってしまいました。それでも桜は咲き、大きなランドセルに背負われた子どもたちがちょこちょこ歩いているのを見かけると、なんだかほっこりした気持ちになったりもします。

 そうした春休み中のことですが、車いすユーザーでコラムニストの女性がバリアフリー設備のない駅の利用をめぐってトラブルに巻き込まれるという事件が起こりました。詳細については彼女のブログで確認してほしいのですが、要するに、家族での春休みの小旅行を楽しむ予定だったにもかかわらず、「乗車拒否にあった」ことで嫌な思いをしてしまったそうです[i]。具体的には、最終目的地がバリアフリーのない駅だったことをめぐって駅側の見解が(基本的には「対処できかねる」ことを中心としながら)二転三転し、はじめの駅で1時間ほど押し問答になり、結果的に予定より大幅に遅れての目的地の到着となったようです。この件をめぐってネットニュースやSNSでは、いわゆる「炎上」に近い状況となりました。議論のポイントはたくさんありますが、(車いすユーザーである本人たちがバリアフリー設備のない駅を利用することについて駅の方に)「なぜ事前連絡をしなかったのか」、(結局のところ人員を使っての移動により目的が達成できたがその際)「駅員への感謝の言葉がない」といった意見が非常に多かったように思われます。その後、女性はこの騒動をめぐって自分の説明不足だったところやさらなる理解を求める部分について補足のブログを書いていますが、それを眺める周囲の人のまなざしの厳しさに恐怖すら感じてしまいます。

 その恐怖とは、「自分たちのあたりまえ」が全く見えていない、ということです。この社会で暮らす多くの人たちは、実はわたしもなのですが、車いすを利用したことがありません。車いすを利用しての街中の移動がどれだけ制約の多いことか、転じて、わたしたち車いすユーザーでない者にとっての移動がいかにたやすく快適で、空気を吸うかのようにできてしまっているかに全く思いが至っていません。わたしたちは駅を利用する際、前もって連絡をすることはありません。日常的に駅を利用することは通常のサービスを受け取るだけの行為にすぎず、特別なことがない限り駅員さんに対して感謝の言葉をブログに書いたりはしません。しかし、利用者が障害者となると、それではいけないようなのです。多くの人にとって、駅は最終的な目的を果たす場ではなく、目的を達成するための移動手段、通過点にすぎません。しかし、車いすユーザーはその駅を利用する際には事前連絡をして通常業務に支障をきたさないよう努力し、移動という目的が達成された際には感謝の言葉を並べなければならないようです。

 今回騒動に巻き込まれた女性は、移動をめぐって(ご本人いわく)1時間ほど駅の職員さんたちと交渉を重ねたようです。そのことについても「駅員さんがかわいそう」「クレーマー」などと評するコメントがSNS上に頻繁にみられました。彼女は駅員さん個人を責めているわけではなく、「移動」という人として当たり前の権利について主張せざるを得ない状況に直面し、障害者差別解消法という法律に基づき、それを引き起こしたシステムへの異議申し立てと合理的配慮の要求を行ったにすぎません。しかしながら、周囲の評価は上のようなものが大半でした。そうした声はまるで「障害者はおとなしくしていろ、だまって世の中の仕組みに従え」と言っているかのようにわたしには聞こえました。

 しかしながら、障害者は社会的に周辺に置かれるリスクが多い人たちであるというだけでなく、単に人数的にみても非常に少数派です。数の少ない者たちの声を広く社会に届けようとするならば、大きな声を上げなければ届きません。いまでは多くの駅にエレベーターが設置され、車いすユーザーだけでなくベビーカーや大きな旅行鞄などを持った人なども日常的に利用できていますが、実はこれも障害のある人たちが粘り強い運動と地道な交渉を重ねてきた結果勝ち取ったものという歴史があります。まだ「共生社会」といった考えが広く共有されていない時代の話ですから、世間の風当たりは今回の騒動どころではなかったでしょう。そうした大きな声の成果物としての駅のエレベーターなのですが、わたしたちはそんなことも知らず、まるで時間の経過とともに自然に設置されたかのようにその存在を受け取り、利用しています。だからこそ、今回の件で声を上げた彼女に対して、多くの人が大きな心理的抵抗を感じたのではないでしょうか。けれど、少数派の声を封殺することは、たとえば今回の場合はバリアフリー化を進めるきっかけを奪うことにつながるのであり、マイノリティとマジョリティの社会的障壁をマジョリティ側がまた高く作り直したということになります。

 「自分たちのあたりまえが日常的にどのように構成されているか」。そこに目を向けなければ、少数派(マイノリティ)の声やその意味するところに耳を傾けることはできないのではないか。そんなふうに思わせられる事件でしたが、このことはわたしたち川西オンブズの仕事にも重要な示唆を与えてくれたように思います。

 「おとなと子ども」というのは、「健常者と障害者」と同じように、マジョリティとマイノリティの関係にあります。おとな側の義務の問題もあるのですが、子どもたちの生活のすべてに、おとなの支配と権力が入り込んでいるといっても過言ではありません。学校という場も子どもの居場所、子どもの活躍の場と言いながら、その運用のほとんどはおとなによって担われています。わたしも仕事柄、国内外の多くの学校現場を訪ねる機会を頂きますが、日本の学校すべてが子どもたちの自治が育ち、かれらが主体的に学びを創造できる場となっているかと問われれば、残念ながら「まったくその通りです」と言うことはできません。

 わたしたちは、子どもの日常世界に迫る以前に、自分たちおとなのあたりまえがいかに構成されているかにすら注意が払えていません。そうしたなか、子どもたちの小さな声を拾うことはほとんど不可能に近い行為です。世の中はそんなぼーっとしたおとなたちで運用されている(これは自分自身への戒めも含まれています)。そして、そのようなおとなたちの子どもたちへのふるまいは、「子どもの最善の利益」という観点に立てば、その無自覚さゆえに時に暴力的にすらなりうるのです。だからこそ子どもたちの自治を育て、大きな声が出せる環境を準備し、かれらに語ってもらうことが大切であると考えます。もちろん、その過程においては、どんな小さな声であっても聴こう、聴き取ろうとするおとな側の不断の努力も必要となります。

 「子どもの声を聴く」…オンブズで仕事をしていると、本当にわたしたちは子どもたちの声を聴けているのか、常に不安になります。「自分たちのあたりまえ」を振り返りながら、子どもの声を聴き続ける、聴こうとし続けることが大切であると思っています。

[i] コラムニスト伊是名夏子ブログ「JRで車いすは乗車拒否されました」http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html

執筆:オンブズパーソン 堀家 由妃代(ほりけ ゆきよ)
 

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