子どもオンブズ・コラム 令和3年5月号 障がいのある子どもの育つ権利

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ページ番号1013066  更新日 令和3年5月24日 印刷 

障がいのある子どもの育つ権利

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大倉オンブズパーソンのイラスト

 昨年度、障がいのある子どもの発達に関する2冊の本に関わる機会を得ました。1冊は聴覚障がいのある子ども、もう1冊は発達障がいのある子どもへの支援がテーマです。その中で、障がいとは何か、障がいのある子どもの育つ権利とは何かということについて考えたことがあります。例えば、次のような聴覚障がいのある子どもの事例を見てみましょう。

【ゴミ箱に散ったお弁当の「傷」】
 運動会の朝だった。母親は早めに起きると、張り切ってお弁当を準備した。ふだんは目覚めの悪いワタルも、飛び跳ねるようにして布団から立ち上がった。いつもとは違う日、母も子も教室での「お勉強」から解放される日になるはずだった。
テーブルの上の大きな弁当箱には、色とりどりのおかずが並んでいた。それを見てワタルは歓声をあげた。「チュゴイ、チュゴイー オオチイアマゴアチ~!」ワタルは卵が大好きだった。
流し台に向かっていた母親の手が止まった。ワタルのほうを振り返ると、母親は「ワタルくん、アマゴアチじゃないわよ。タマゴヤキ。タマゴヤキよ。わかった?言ってごらん」と言った。運動会への期待に浮かれていたワタルは、身体を弾ませたままで、「アマゴアチ」と応じた。「ちがうわ。いい?タよ。ヤよ。タマゴヤキ。もう一度言ってごらん」とうながす母親の声は、さっきよりも大きく、鋭かった。母親の目の真剣さに気づいたのだろう。ワタルの表情が曇った。
スイッチが入ってしまったのだ……。「ダメ!そうじゃないの!」「ちゃんとききなさい!」「何度言ったらわかるの!?」母親の声が家のなかに響いた。
(中略)
 練習を重ねてきた運動会、腕によりをかけたお弁当。母親だって楽しみにしていたのだ。けれど、その母親がいつもの「訓練士」モードに陥ってしまったとたん、彼女の心は「発声」の虜と化した。気づいたときには、「ちゃんとできないんだったら、運動会になんて出なくてよろしい!」と叫びながら、出来上がったばかりの弁当をゴミ箱に投げつけていた。
(河崎佳子「きこえない子の心・ことば・家族―聴覚障害者カウンセリングの現場から」(明石書店、2004年)より)

 運動会の朝、聴覚障がいのある我が子の「アマゴアチ」という一言に引っかかり、正しい発音をさせようと躍起になるあまり、感情的になり、ついにはお弁当を投げつけてしまったという母親のエピソードです。楽しみだった運動会、母親が自分の大好きな卵焼きを作ってくれたことでますます嬉しくなったその気持ちを、一瞬にして崖下に突き落とされてしまったワタルの心の痛みはどれほどだったでしょうか。母親は20数年前のこのエピソードを振り返って、「なんてことでしょうねえ。ワタルはどんなにつらかったことか……」と深く後悔しているのですが、こうした関わりに母親が陥ってしまったのは一体なぜだったのでしょうか。
 実は、この事例ではろう学校の先生の支援のあり方が、大きな要因になっていたようです。今よりももっと「聞こえるのが当たり前」だった当時の社会の中で、ろう学校の先生は熱心にワタルに口話訓練(相手の口の動きを読み取ってことばを理解し、自分の表現したいことばを口の形と音声で表す訓練)をさせ、「お母さんのがんばりで、ワタルくんのことばは伸びてきましたね」と母親を褒め、他の保護者に対しても「ワタルくんのお母さんのようにがんばってください」などと言ったといいます。もちろん、ろう学校の先生に悪気はなかったと思いますが、子どもに「力」をつけさせるべく子どもや保護者をがんばらせる関わりに傾きすぎることが、大きな危険性を孕むということが分かります。
 ただし、問題をろう学校の先生にのみ帰することはできません。「聞こえるのが当たり前」という社会・文化の状況が、聴覚障がいのある人に対する理解や配慮に乏しかったということが、母親や先生のワタルへの関わりの背景にあったと思われるからです。聞こえる人と同じように口話でのやりとりができなければ、この子は後々苦労することになるに違いないと感じざるを得ないような社会状況を目の当たりにするほどに、子どものうちにしっかりと口話の力を身につけさせておかねばと思うのは、ある意味自然なことでしょう。
さらに、障がいに対する理解や配慮に十分でない社会は、障がいのある子どもを育てる保護者に対するサポートが乏しい社会でもあるでしょう。障がいのある子どもの保護者の悩みや苦しみは、ときに本当に深いものになり、それがために子どもの気持ちを思いやるゆとりを失ってしまうことがあります。そうしたとき、社会の側にそうした保護者の苦しい思いを温かく受け止め、子育てに伴う負担が軽減されるようサポートする体制やネットワークが十分にあれば、この事例の母親のワタルへの対応も変わっていた可能性があります。
 このように見てくると、子どもの耳が聞こえないということ以上に、周囲の人間関係や社会のあり方が子どもの心の育ちに大きな影響を与えるということが見えてきます。例えば、つい先ほどまでニコニコしながら愛情のこもったお弁当を作っていた母親が「豹変」し、「正しい発音ができないダメな自分」を矯正しようと執拗に言い直しをさせる厳しい「訓練士」になってしまうという体験は、「たとえ耳が聞こえなくても、自分は存在しているだけで価値がある」という無条件の自己肯定感や、「お母さんはどんなときも自分を愛し、自分の気持ちを分かってくれる」という信頼感を深く傷つけるものになり得ます。逆に、能力に何らかの障がいがあっても、周囲の人との関係性が良好で、他の子と同等の社会参加の機会を得られるのであれば、恐らくその子どもは日々の生活の中でさまざまな幸せを感じられるでしょうし、それを糧にいろいろな困難にも耐えていけるようになるでしょう。
 障がいは子どもの中にあるというより、周囲の人間関係や社会環境にあるのではないでしょうか。周囲との関係の中で辛い経験を重ねることで、子どもの心(自己肯定感や信頼感など)の健やかな育ちが阻害されていくことが、障がいの本質だと思います。オンブズにもときに障がいのある子どもについての相談が来ることがあります。すべての子どもが有している健やかに育つ権利―関係調整や制度改善を通してそれを実現していくオンブズの役割の重要性に、改めて身が引き締まる思いがします。

 執筆:オンブズパーソン 大倉 得史(おおくら とくし)

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