子ども・オンブズコラム平成26年2月20日号
ページ番号1001712 更新日 平成30年3月8日 印刷
子どももまた、しがらみの只中を生きる

おとなには「おとなの事情」というものがある、とよく言われる。社会生活の中では、いろいろなしがらみがつきまとい、物事を理想通りに運べないことが、よくある。何かしらの選択を迫られた局面で、最善の選択ではないとわかっていても、そうせざるを得ないということも、しばしばある。客観的に見ると、道理の通らないことが起こっているように映る。でも、渦中の当事者の立場からすれば、それ以外の行動や選択肢を取りようがないと感じられる。そんな時、おとなは「おとなの事情」という言葉でもって、いくばくかの後ろめたさも引き受けつつ、自分を慰める。
おとなには「おとなの事情」があるように、子どもにも「子どもの事情」がある。親でも先生でもない第三者の立場で、子どもが学校生活や家族関係などについて語るのを聞かせてもらっていると、つくづく「子どもの事情」も複雑だなぁ、大変だなぁと身につまされるものがある。
子どもの世界のしがらみは、おとなのそれ以上に、渦中を生きる子どもにとっては切実で、重みのある、逃れがたいものである。なぜなら、おとなと比べて、子どもの生活における人間関係の幅はとても狭く、限られているからである。むしろ、学校と家庭のテリトリーの中で完結する生活をあらかじめ強いられていると表現した方が適切かもしれない。子どもにとっては、学校での人間関係をなんとかやりくりし、そこで自分の居場所を見つけ、サバイバルするしか生きる道がないように感じられる。じっさい、そのように思いつめている子どもは決して少なくない。例えるならば、同年齢の子ども集団においてボス的立場にいる子ども、ボスに付き従う子ども、「いじられキャラ」を引き受ける子ども、それぞれがそれぞれの立場での切実さを抱えている。
おとなと同様、子どももまた、しがらみの只中を生きている。このしがらみが、どれだけ苦しいものであろうと、そこから抜け出すこと、その関係性を変えていくことは、子ども自身の努力だけではいかんともしがたいことがある。実は、子どもの話を聞くということは、その子どもがどのようなしがらみの只中を生きているのか(生きざるを得ない状況に置かれているのか)を理解することに他ならないのであり、そのことによってはじめて、子どもがどんなことに困っていて、どのような手助けを必要としているのかが見えてくる。
おとなの「善意」による先回りの解決策が、結果的に渦中の子どもをさらに苦しめてしまうということがないように、おとなの側が「子どもの事情」をわきまえることは、とても大切なことである。少なくとも、自らの置かれた境遇の中でその子なりのやり方で懸命に生き抜こうとしている姿に気づくことは、子どもに対するおとなのまなざしを、いくぶんゆるやかなものにしてくれるだろう。
執筆:チーフ相談員・渡邊充佳
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