子どもオンブズ・コラム平成30年9月号 「何者」でもない関係

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ページ番号1007534  更新日 平成30年9月28日 印刷 

「何者」でもない関係

イラスト
船越相談員のイラスト

 わたしはあんまり記憶力がよくありません。つい昨日のことでも、晩ごはんに何を食べたんだっけ? なんて思うことは日常茶飯事。もっともっと前のこととなると言わずもがなで、友だちが昔の話をしても、そんなこともあったっけなぁ、とぼんやりしたイメージが浮かべばいいほうです。
 ところが、面談で子どもたちと話していると、ふいに自分の子ども時代の記憶がよみがえってくることがあります。おとなしい、目立たない存在だったはずなのに、ふとしたはずみで調子にのってしまい、友だちにちょっとひかれてしまったこと。「みんな」のノリについていけなくて、端っこで笑うしかなかったこと。流行りの歌を知らなくて、ひやひやしながら知ってるふりをしたこと、などなど。それらはたいてい、痛かったり、苦かったり、思い出すだけで身もだえしてしまいそうな記憶ばかりです。もう10年以上がすぎた今でも、ちょっと冷静にはふり返れない記憶たち。それらにふれるたびに、あのころのどろっとした息苦しさが迫ってくるような気がします。

 先日、『セトウツミ』という映画をみました。原作は漫画なのですが、わたしは映画ではじめてこの作品を知りました。
 主人公は大阪の高校生、瀬戸と内海のふたりです。瀬戸は派手でおしゃべりで社交的、だけど授業態度や成績はあまりよくありません。一方の内海は成績優秀、品行方正、でもどこか冷めていて、友だちらしい友だちがいる様子はありません。ストーリーは、いたってシンプル。一見正反対に見えるこのふたりの会話だけが、川辺で淡々と展開されていきます。けれどこの会話がなかなかどうして、クセになるのです。ふたりの表情や口調、なんともいえない間がとにかく絶妙。ときどきドキッとするようなことを言うかと思えば、またすぐにくだらない話が続きます。
 一見どうでもいい暇つぶしにみえるやりとり、けれどふたりがこの川辺にたどり着くまでには、それぞれちょっとしたいきさつがありました。
 瀬戸に出会う前、内海は学校の誰とも親しくしゃべろうとしませんでした。その理由を同級生に尋ねられたとき、内海は「おもんないから」と答えます。それを聞いた同級生は、「参加してへんからやん」と、部活に入ることを勧めます。同級生の指摘は実際そのとおりで、内海には笑いあう同級生を見て「何がおもろいねん」とつぶやくような、一歩ひいて冷めた目で「みんな」をみているところがありました。
 ひとり静かに過ごしたい内海は、塾までの放課後の1時間半を、川辺で過ごすことに決めます。そんな内海を、けれどなぜか周りは放っておいてくれません。ことあるごとに部活でも入れと言われ、うんざりした内海はこうこぼします。
 どいつもこいつも、走り回って汗かかなあかんのか? なんかクリエイティブなことせなあかんのか? 仲間とつるんで悪いことせなあかんのか? この川で暇をつぶすだけの青春があってもええんちゃうんか。
 そんなある日、内海が座る川辺に、突然瀬戸があらわれます。実は瀬戸は、元サッカー部。とある練習試合で、先輩が蹴ることが暗黙の了解になっていたフリーキックを、「うまいヤツが蹴って何があかんねん」と勝手に蹴って、退部に追い込まれてしまったのです。ぽっかり空いた放課後の時間を埋めようとして、瀬戸もまた、川辺にたどり着いたのでした。
 ほぼ初対面の内海に向かって、瀬戸は「誰やねん、おまえ」と言い放ちます。戸惑う内海が答えずにいると、瀬戸はいきなりとなりに腰をおろし、話し始めます。「ちょぉ、聞いてくれや! 俺、めっちゃ虫キライやん」。
 これが、ふたりの川辺の始まりでした。

 わたしは、誰ともまじわろうとしなかった内海が瀬戸と放課後を共有するようになった理由が、なんとなくわかるような気がします。
 「何者」かであることを求めるまなざしは、いつでもわたしたちの周りにあります。わたしたち自身も、なかば無意識にそれを他者に向けてしまっています。たとえば「部活を頑張る高校生」、「空気を読んで先輩を立てる後輩」、「クールでおとなびたクラスメイト」、「いつでも明るい友だち」。こうして他者に「何者」かであることを求めてしまうのは、たぶん、そうでないと自分の立ち位置を決め、それにしたがってふるまうことができないから。それは、ひとが誰かと関わりながら生きていく存在である以上、仕方がないことなのかもしれません。でも、ときどき、息苦しい。
 内海は、周りに求められた「部活に汗する」「クリエイティブなことをする」「仲間とつるむ」高校生、という役割を受け入れませんでした。瀬戸も、「部活で先輩を立てる後輩」という役割を拒みました。そうしてたどり着いた川辺で、瀬戸は内海に「誰やねん」と問うておきながら、その答えを求めませんでした。そんなふたりだからこそ、「何者」でもない関係をむすぶことができたんじゃないか、と思うのです。

 おとなになった今では、ある程度わりきって、自分の役割を演じることができます。ごくごく親しいひととの間では、「何者」でなくてもいい、と思えるときもあります。でも、小学校、中学校、高校。あのころのわたしは、しょっちゅう自分の役割を間違えて、見失って、息苦しさのなかでもがいていました。
 瀬戸と内海のような、互いに「何者」でもない関係。いつでも、誰とでもというわけにはいかないけれど、ひとりでもそんな関係をむすべるひとがいたら、あのころのわたしは、ほっと息がつけたかもしれない。そう思うと、ちょっと胸の奥が痛むときがあります。でも、必死でもがいてきたその先の今、ほんのひと握りだけど、「何者」でなくてもいい関係、といえるひとたちがいる。それもまた、たしかなことなのです。

執筆:相談員・船越愛絵(まなてぃ)

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