子どもオンブズ・コラム令和3年7月号 お隣のおばちゃん

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ページ番号1013309  更新日 令和3年7月19日 印刷 

お隣のおばちゃん

イラスト
平野相談員のイラスト

 今回は私の子ども時代のエピソードです。私が5歳の時に弟が生まれました。それまで一人っ子で育ってきた私は、きょうだいが生まれることをとても楽しみにしていたので、すごくうれしかったことを覚えています。そのころ父親は単身赴任中で、弟をくわえて母親と私と三人での暮らしでした。

 生まれてしばらくして、弟はどういうわけか夕方になるとよく泣くようになりました。母親が弟を抱っこしてあやしますが、いつも簡単には泣き止みません。初めの頃は、私もお気に入りのぬいぐるみを抱っこして、横で母のまねをするという遊びをしていました。けれど、弟はなかなか泣き止まず、夕ご飯の時間が近くなって、お腹もすいてくるし、疲れてくるし、泣きつづける弟をちょっと恨めしく思ったものです。

 その当時住んでいたハイツには、壁一つ隔てた隣のお家に50代ぐらいのおじさんとおばさんが夫婦で住んでいました。おばさんはちょうど私の祖母ぐらいの年で、回覧板を持って行ったり、道で会うとよく声をかけてくれていました。あるとき、その日も弟が泣いていました。母は弟を抱っこして、あやしながら部屋の中をウロウロしていて、私もいつものようにぬいぐるみを抱いて母の真似をしたり、そのうちそれにも飽きて絵本を読んだりしていました。そんなときに、ピンポーンと家のチャイムが鳴り、出てみると、お隣のおばちゃんでした。手にお皿をもって立っていて、それを差し出しながら、「多めに作ったから、食べて」と私に渡してくれます。私にとっては初めてのことで、子どもながらとてもびっくりしました。弟を抱っこして後ろに立っていた母の顔を振り返ってみると、母も驚いた表情をして、それから笑顔になってお礼を言っているのをみて、少し安心しました。いま思えば、おばちゃんは弟の泣き声に気づいていたのでしょう。

 いただいたのは煮物で、おばちゃんの家で使っている陶器のお皿に入っていました。沖縄出身だというおばちゃんが作った煮物にはゆで卵が入っていて、豚肉がとっても柔らかく煮込んであり、家では食べたことのない珍しい味で、すごくおいしいものでした。その夜はさっそく夕食の一品に加えて、母と一緒にいただきました。それから、弟が泣いた日の夕方におばちゃんがおかずを持ってきてくれるということが何度もありました。いつも、おばちゃんの家のお皿に入っています。おかげで弟がなかなか泣き止まない日の夕食は、おばちゃんの家の煮物がメインディッシュでした。しばらくして、弟は夕方になってもあまり泣かなくなりますが、けれど、おばちゃんはその後もときどきおかずをもってきてくれました。

 そして、食べ終わったお皿を隣に返しに行くのは私の役割でした。おかずをもらった翌日、母が洗ったお皿をお隣に持っていくと、おばちゃんは「上がっていき」と声をかけてくれます。そして、おばちゃんの家に上がって、冷たいカルピスをもらっておばちゃんとおしゃべりをします。どんな話をしたかは、もう全然思い出すことはできません。でも、おばちゃんの家の静かな雰囲気とお仏壇のお線香のにおいはよく覚えています。

 5歳だった私には、おばちゃんの家の煮物がとても珍しかったし、それにときどき自分だけおばちゃんの家に上がってカルピスをいただきながらお話することがうれしくて、なにかしらちょっと一人前になったような気がしていました。その後、しばらくして私たち家族は引っ越しをして、そのおばちゃんに出会うことはなくなりました。おばちゃんがお別れの時にくれた小さなシュロの木の鉢植えは、引っ越した先の庭でぐんぐん大きくなって、いまでは私の背丈の三倍にもなっています。

 あの時のおばちゃんの親切はとてもさりげなくて、子どもだった私はそれが特別のことであるという意識はあまりありませんでした。ただただおばちゃんの煮物をおいしく食べ、おばちゃんとのおしゃべりの時間を楽しんだだけです。でも、おとなになったいま振り返ってみると、あの時のおばちゃんの行動はそんなに当たり前のことではない気がします。人との距離感がむつかしくなった街の生活のなかで、こんなにさりげなく人にそっと手を差し出すことができるのはすごいことだなぁと、おとなになった私は思います。おばちゃんがどんなつもりで煮物を持ってきてくれていたのか、どんな思いでお皿を返しに行った私とおしゃべりしてくれていたのか、もう確かめることはできません。

 でも、すっかり忘れていたこのことを思い出して、あのときおばちゃんがしてくれたことは確かに私のなかに残っていると感じます。そして、何十年もたったいま、思い出しておばちゃんの温かさが身にしみます。5歳の私はおばちゃんのやさしさに間違いなく支えられていました。それは、きっと母も同じだったのだと思います。困ったときに誰かが助けてくれるという人への安心感は、なんとなく私のなかに残って、その後の私にとってとても大きなものになっていたように思います。

 このおばちゃんのさりげなさはなかなか真似できそうにもないのですが、困ったときには助けてくれる人がいるという安心感を、いま子ども時代を過ごしている人たちにも伝えられればと、あらためて思っています。

執筆:相談員 平野 裕子(ひらりん)

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