子どもオンブズ・コラム平成30年6月号 “The親”をあきらめる
ページ番号1007172 更新日 平成30年7月12日 印刷
“The親”をあきらめる!

私は普段大学で仕事をしているのですが、大学生とかかわっていると、「私はほめられて伸びるタイプなんです!そんなに怒らないでください!」といわれることがあります。また、子育て情報などを見ていますと、「できないことを叱るばかりではなく、がんばったことをほめて育てよ」というような旨のことがたくさん書かれてあります。どうやら、現代の日本社会において、人を育てるということとほめるということは、切り離せない営みになっているようです。
しかし、前オンブズである浜田寿美男さんも指摘されているように、子育て環境においてほめるという行為は、実は不自然な行為でもあります。浜田さんは、親や教師が子どもをほめるということはあくまで「上から目線の評価」でしかなく、それで子どもの自尊感情に働きかけることは難しいのではないかと疑問を投げかけます。そうではなく、普段の暮らしの中で子どもの力が助けになった際に「ありがとう」「助かったよ」というべき(子どもに生活の一翼を担っているという感覚を与えることこそ大事)であると浜田さんはおっしゃっています。
こうしたものの見方は、私にとって大きな支えとなりました。実は私自身、日々の生活の中で自分の子どもや関わっている学生さんをほめるのがとてもむずかしいなぁ(結果的に怒ってばかり?)と感じていたからです。私ができないことを怒ってばかりいる問題についてはここでは置いておいて、ほめることについてもう少し考えてみたいと思います。
つい先日、こんなことがありました。私は、久しぶりの休日でたまった家事を片付けるべく、家中の大掃除をしていました。当然、トイレ掃除にも取りかかったのですが、(経験者の方にはご理解いただけるかもしれませんが)これがなかなか難しいのです。特に、便器の“フチ裏”をきれいにすることが私にとってはとてもストレスでした。トイレブラシは、このフチ裏まできれいにするために先端部分が少しカーブしているのですが、便器の内周に洗剤を垂らし、そのカーブを慎重に溝に当てながらこすっていくうちに、洗剤が便器のそこに流れ落ちてしまい、どこまできれいになっているのかさっぱりわからなくなるのです。今回も「これ、ホンマにきれいになってるんやろか?」と、とりあえず力まかせにブラシでゴシゴシとやってみます。めずらしく家にいる私と遊びたい子どもに時々“邪魔”をされることもあって、私は少々イライラしながら便器をこすっていました。すると、それを見ていた子どもがポツリとつぶやきました。
子「(ブラシのほうを指差して)そっちにせっけんつけたらいいやん」
私「え?ホンマや!ありがとう!」
私は思わず叫んでいました。この日、30年以上にわたって私のストレスの元であったトイレ掃除は、わずか数年しか生きていない、それもトイレ掃除などしたこともない子どもによって革命的な進化を遂げたのです。トイレの中で歓喜の叫びをあげながら、同時に私は先の浜田さんの「ほめる考」を思い出していました。子どもの顔を見てみますと、私以上にうれしそうな顔で、私の様子を見ています。これだ!と私は思いました。無理に良いところやがんばったことをほめなくても、子どもが暮らしと接点を持っている部分をただ認めればよいのです。
そんなふうに親子間での「ほめる」を考えていると、学生さんとの関係においての「ほめる」問題についてもこれまでとは違う見方ができるようになりました。おそらく、学生さんたちが「ほめて」と言っているのは、まずは同じコミュニティのメンバーシップであることを確認してほしいということなのだと思います。大学というコミュニティに参入し、周辺的にではあるけれども、それぞれの持てる力で徐々に「大学生になろう」「大学のメンバーとして力を発揮しよう」としている過程そのものを承認することこそ、かれらが求めている「ほめて」(それをあえて「ほめて」という表現を用いてアピールしている…きっと本当にほめてしまえばかれらは戸惑うことになるでしょう)なのだと思えるようになったのです。
いま、私たちの周りには膨大な子育て情報があふれており、それでいて皆が同じような子育ての仕方を求められるような状況の中に置かれています。先の「ほめて育てよ」という子育て観も、これら情報の海のなかで実践すべき親業のひとつとして、いつのまにか高い位置に躍り出たものであると考えられます。こうした子育て情報に常にアンテナを張り、実践しようと努める親は、一般に「子育てに積極的」「教育熱心」と評価されるかもしれませんが、それが必ずしも子ども本人の幸せにつながっているかはわかりません。最近のオンブズに持ち込まれる案件のなかでも、親が ”The 親 ” (世の中が求める親役割)を全うしようとせんがばかりに、実は子ども本人の思いが置き去りにされている(それが結局のところ子どもの人権侵害となっている)というようなケースに出会うことがあります。
他方で、親による物理的虐待やネグレクトなどの事件が後を絶ちません。こうしたニュースが共有されれば必ず、「親失格」「生む権利がない」などと親が責め立てられますが、加害者となった親がそのような行為に及ぶに至った社会構造的な問題(背景にあるジェンダー問題や貧困問題、階層問題など)に十分注意を払うべきであり、こちらもオンブズとして積極的に介入していかなければならないような事案です。
どちらも、生物としての本来的な親役割と、現代社会が求める親役割との間に大きく乖離があることに問題の所在がありそうな気がしています。子どもが子どもである前に一人の人間であるのと同じように、親も親である前に一人の人間です。私も現代社会を生きる一人の親ですので、なかなかそうはいかないかもしれませんが、時々「親を休んでみる」、時には「親をあきらめる」ことが、自分のためのみならずわが子のためにも必要かもしれません。
執筆:オンブズパーソン・堀家由妃代(ほりけゆきよ)
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