子どもオンブズ・コラム 令和4年8月号 はじめまして

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ページ番号1015782  更新日 令和4年8月23日 印刷 

就任のあいさつ(相談員)

岸本相談員
岸本相談員 イラスト

 はじめまして、8月から相談員になりました岸本厚美(きしもと あつみ)です。

 これまで小学校・中学校・高校で臨時講師をしたり、最近では学童保育や放課後等デイサービス事業所の指導員などをしてきました。
 相談員のスタートにあたって、これまでを振り返ってみますといくつかの大きな転機がありました。
 最初の転機は、中学から高校の頃で、今となってはほろ苦い思い出となりましたが、現在の私を知る人からは想像できないと言われます。というのも小学生の頃は、人見知りが強く、無口であまり笑わない子、話したくないから人と目も合わせないので、暗くて感じが悪い子とよく言われました。さらにかなりぽっちゃりしていて運動も苦手だったので、名前の「厚」から「ぶあつい」とか「ドン」とからかわれたりするので、何をするにしても失敗するのが怖くてすべてに臆病になっていました。劣等感から自分のことが嫌で嫌でたまらない、息苦しくてどうしていいのかわからず厚い殻に閉じこもっていた小学生時代でした。
 でも中学進学を機に他の小学校出身の新しい友達ができ、一人では臆病になって避けていたことも新しい友達と一緒ならと少しずつ挑戦できるようになりました。そうすると人と話すことも苦にならなくなり、おまけに学校生活もどんどん楽しくなり、小学生の頃のイメージとは反対にどんどん明るくなっていきました。
 高校に入ると、個性的な教科担当の先生がたとの出会いがありました。新聞記者から教師になった先生、カラフルな服装で颯爽とオープンカーでやって来る先生、あきらめていたオペラをもう一度勉強するため教師を辞めて留学を決意した音楽の先生など、刺激的でとても大きな影響を受けました。もはや人見知りはすっかり影をひそめ、一人でも積極的すぎるほど行動するようになっていました。中学・高校生活を経て、ようやく自分を疎んじていた厚い殻から脱皮できたと思える時期でした。

 次の転機は、社会人になって公立学校の教師をめざしていた頃に「B型肝炎」を発病したことです。当時、B型肝炎に関してはよく知られておらず、原因が特定できないまま急性から慢性肝炎となり、入退院を繰り返す生活を余儀なくされました。さらに検査をすると肝硬変や肝がんなど重い疾患に進展するタイプだとわかりました。決定的な治療方法がなく、これがだめだったら次はこの方法でやってみようという状態で不安ばかりが募っていました。あれもこれもやってみたいと思っても体がついてこず行動範囲が限られ、また肝炎の不確かな情報で近寄ってはいけない、うつされるかもしれない人のように見られたりするなど悔しい思いもしました。ともすれば思い詰め、ふさぎ込んでしまうこともありましたが、できるだけ先のことは考えないようにして多くの希望は持てなくとも、その日その日を大切にしていこうと努力しました。そんな折、専門医から状態を見て安定していれば子どもを産むことも可能と聞かされ、子どもを産み育てるという新たな希望ができました。肝炎患者の出産をケアしてくれる数少ない産科医の理解と家族や専門医の協力を得て出産することができたのです。
 こうした療養生活が8年になろうかという頃、思いもかけないことが起こりました。3人目の子どもを授かったとき、定例の検査でB型肝炎関連の数値が良くなっており、まったく治療の必要がなくなったのです。突然のことで検査結果を何度も聞き返しました。次の治療方法を検討していた専門医も驚くばかりでした。肝硬変・肝がんなどの心配をしなくてもよくなったのです。それ以降は、これまでの反動でしょうか、元気いっぱい、子育てしながら小学校の教員免許の取得、絵本の読み聞かせの会の活動など、仕事にも就き、震災時には率先してボランティアにとフル回転で動きまわるようになっていました。

 次の大きな転機は、家族の看護と介護でした。仕事をしながら時折、実家の家族の様子を見に行ったりはしていましたが、母の介護をしていた兄も悪くなってしまったのです。二人の病状が同時進行で悪化し、仕事を離れ介護と看護に専念することになりました。日ごと食べられなくなり動けなくなって弱っていく姿に、心が痛みました。もっと何かしてあげられないか、自分だけが好きなことをして、食べたいものを食べているという罪悪感がでてきて、人と楽しく話すことも減ってふさぎ込むようになりました。表情も暗くなっていたのでしょう。その様子にいち早く気づいて声をかけてくれたのが、兄の主治医の先生でした。時間をかけて話を聴いてくれ、抱え込まないよう罪悪感を持たずに気分転換をするべきと勧めてくれました。そのおかげで私は気力を回復し、二人を最後まで介護し看取ることができたのです。

 どの転機にも、困難を乗り越える手助けをしてくれる人たちとの出会いがありました。そういった人たちが、どうにもならないと思い込んでいた私に次の一歩を踏み出す力添えをしてくれました。八方ふさがりじゃないよ、お先真っ暗じゃないよ、物事は一つの面だけ、同じところから捉えるのではなく、異なったところから捉えることができるという気づきをくれました。捉え方を変えることで希望が芽生え、好きになれなかった自分の名前の「厚」にしてもぶ厚いだけではなく、「情に厚い」という使い方もできると考えられるようになりました。そう捉えると劣等感ではなく、「私自身も情に厚い人間」になろう、なりたいと思えるようになったのです。

 出会いはちょっとしたきっかけです。相談員として、ちょっぴり長く生きてきた私にも誰かの困難を乗り越えるお手伝いができればと願っています。お話を聴かせてください。お待ちしています。

執筆 相談員 岸本 厚美

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