子どもオンブズ・コラム平成30年7月号 人権について「教える」前に

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ページ番号1007239  更新日 平成30年7月17日 印刷 

人権について「教える」前に

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大倉オンブズパーソンのイラスト

 昨年度、保育のエピソードを題材に子どもの権利について考えるコラムを書きました。今回も、ある保育者が書いたエピソードを取り上げてみたいと思います。

 年長児のS君は複雑な家庭背景を持っており、母親が「こいつのせいで頭がおかしくなる!」とS君を強く叩く場面を目にすることもあった。
 ある日、年中児のK君とおもちゃの取り合いになったとき、S君はK君の頭を強く叩き、K君のお腹を思い切り蹴り上げた。大声で泣き出すK君。私はあまりのひどい仕打ちに「どうしてそうするの!そんな暴力、許さへん!」と強く怒鳴ってしまった。くるっと振り返って私を見たS君の目が怒りに燃えている。しまったと思ったときはすでに遅く、S君は「こんな保育園、出ていったるわ!」と肩を怒らせて泣きべそをかき、部屋を出て行こうとした。
 私はS君を必死で抱きとめて、「出て行ったらあかん。S君はこのクラスの大事な子どもや!」と伝えた。泣き叫び、私の腕の中で暴れながらも、私が抱きしめているうちにS君は少し落ち着き、恨めしそうな顔を私に向けて、「先生のおらんときに、おれ、死んだるしな」と言った。
 しばらく2人きりになって、落ち着いてくると、S君は「あのな、うちでしばかれてばっかりやねん。うち出て行って、反省して来いって、お母さんいつもいうねん。出て行って泣いてたら怒られるし、静かに反省したら、家に入れてくれるんや」と話し出した。私は「そうやったんか、S君、しんどい思いしてたんやな」と言ってS君を抱きしめた。「先生はS君のこと大好きや。先生、何が嫌いか知ってるか?」と言うと、「人を叩いたり、蹴ったり、悪いことすることやろ?」とS君。そして「遊びに行く」と立ち上がると、「Kちゃんにごめん言うてくるわ」と言って、走って園庭に向かった。
(鯨岡峻・鯨岡和子『エピソード記述で保育を描く』ミネルヴァ書房より。一部改)

 虐待に近い家庭環境にあると思われれる事例です。母親から受けているひどい扱いや言動がいつのまにかS君に取り込まれ、他の子に対するひどい暴力や「死んだる」といった投げやりな言葉になって出てきているようです。
 そんなS君に対して、先生ははじめ「そんな暴力、許さへん!」と怒鳴ってしまいますが、怒りに燃えたS君の目にハッとします。S君からすれば、信頼を寄せていた先生から厳しく叱られ、全世界が敵に回った、もう自分の居場所はどこにもない、という感じがしたのかもしれません。そんなS君の深い悲しみを瞬時に察知したからでしょう、先生は「出て行ったらあかん。S君はこのクラスの大事な子どもや!」と必死に抱きとめます。その腕の中で、S君も次第に落ち着きを取り戻していったようです。
 S君が口にした家庭での話には、本当に胸が詰まる思いがします。「こいつのせいで頭がおかしくなる!」と自分の存在を全否定され、悲しみを泣いて表現することすら許されない、家にもいれてもらえないという経験が、幼い子どもの心にどんな傷跡を残すのか。先生も「S君、しんどい思いしてたんやな」と言って抱きしめることしかできなかったようです。
 ところが、そうやって先生にしっかり自分の気持ちを受け止めてもらったときに、すごいことが起こります。S君自ら「ごめん言うてくるわ」と言って走っていったのです。S君の中に、K君のことを思いやる気持ちや、悪いことをしたから謝りたいという気持ちも、ちゃんと育っていたということがうかがわれるシーンです。恐らくそれは、普段からこの先生や周りの子どもたちがS君のことを「このクラスの大事な一員」として認め、気持ちを通わせ合うような保育をしていたからでしょう。厳しい家庭環境にあるS君の今後は気にかかるところですが、S君の子どもらしい心の素直さや周囲からの支えに一筋の光を見るような(見たいような)気がするのも確かです。
 みなさんは、このエピソードをどんなふうに読まれるでしょうか。もしかすると、保育や学校教育の現場で、S君のような乱暴な子、いじめっ子に対しては厳しく指導をしなければならない、それこそが人権教育だという考え方を持つ人もいるかもしれません。ところが、このエピソードが物語るのは、実はS君のような子ほど、自分の気持ちをしっかり受け止めてもらうことを求めている、ということです。児童精神科医のウィニコットは、子どもというものは“罪の感覚のパーソナルな源を持っているのであって、罪あるいは思いやりを感じることを教えられる必要はない”(ウィニコット『児童分析から精神分析へ』岩崎学術出版社)と述べています。他者に対する思いやりや、乱暴をしてしまって悪かったという気持ちは、「教えられる」ものではなく、子どもの気持ちをしっかり受け止めていくような対人関係の中で「自然と芽生えてくる」ものなのです。
 子どもの中に人権意識を育むことが重要だということは、多くの人が認識していると思います。そのために、さらに道徳教育に力を入れるべきだといったことを言う人もいます。そのこと自体を否定するわけではありませんが、より重要なのは、人権意識の根っこになるような他者への思いやりや共感性が育つような人間関係(子どもと大人の関係、子ども同士の関係)が、そもそも子どもの周囲にきちんと醸成されているのか否かということです。
 一人ひとりの子どもの気持ちを大事にするような大人の側の姿勢や、それを可能にする教育制度や社会制度の構築が求められているのだと思います。

執筆:オンブズパーソン・大倉得史(おおくらとくし)

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