消防団の歴史
ページ番号1005463 更新日 平成30年3月8日 印刷
江戸萬治元年
火消役制度にならい、川西村、多田村、東谷村の「若中組」が法被姿で火事に出動する。
消防器具として、龍吐水(ポンプ)、水鉄砲、大団扇、鳶口、斧などが用いられた。
明治初期
- 川西村 若中組を「消防方」に改正
- 多田村 「消防方」として若中組が任務
- 東谷村 「以、呂、波、仁、保」の5組の消防組があった。
明治後期
明治後期の消防器具には、腕用ポンプが使用され、各村消防組にも多数配備された。
- 川西村 明治41年4月「川西村消防組」11部を設置
- 多田村 明治41年4月「多田村消防組」12部を設置
- 東谷村 明治42年3月「東谷消防組」10部を設置
大正
- 大正10年 ガソリンポンプを導入(川西村消防組、第7部)、以降各部において腕用ポンプからガソリンポンプに切り替えられた。
- 大正14年10月 川西村、町制施行に伴い「川西町消防組」になる。
昭和
- 昭和8年 川西町消防組はポンプ自動車を導入する。翌年東谷村消防組でも導入する。
- 昭和14年4月 警防団令により各消防組が「警防団」に改組される。
- 昭和22年4月 消防団令により各警防団は「消防団」に改組される。
- 昭和22年7月 川西町消防団発足、多田村消防団発足、東谷村消防団発足
- 昭和29年8月 1町2村が合併し、川西市施行。これに伴い各消防団を統合し、「川西市消防団」が発足する。市消防団条例により、市内を旧3地区に分け30分団を設置、消防定員を団長以下672名とする。
- 昭和33年 消防現有力 ポンプ車 5台、手挽ポンプ 26台、可搬式ポンプ 3台、 計 34台
- 昭和36年8月、市消防本部を設置。団本部を消防本部内に設置する。
- 昭和39年10月、市条例の改正により、定員を460名とする。
- 昭和42年10月、市条例の改正により、10分団30部とし、定員を385名とする。
- 昭和61年 消防現有力 ポンプ車 6台、 積載車 24台、 可搬式ポンプ 25台、 計 55台。
平成
- 平成5年3月、市消防団条例の改正により、「女性消防団員(第11分団)」を創設する。定員418名、11分団となる。
- 平成13年 消防現有力 ポンプ車 4台、 ポンプ積載車 27台、 可搬式ポンプ 28台、 計59台。
- 平成27年4月1日現在 消防現有力 ポンプ車 2台 ポンプ積載車 28台 可搬式ポンプ 29台 指揮車など2台 計61台。
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