水道・下水道の歴史
ページ番号1017230 更新日 令和5年3月30日 印刷
水道の歴史
昭和29年2月
隣の池田市から水を送ってもらっていた川西町として、初めて水道ができました。その半年後の昭和29年8月に川西町、東谷村、多田村が合併し川西市が誕生しました。
昭和33年1月
出在家町付近に「松山浄水場」が完成しました。
猪名川の水を使って、川西市で水道水が作れるようになりました。
昭和42年4月
この頃、川西市では団地開発などで急激に人口が増加しました。
そこで滝山町付近に新しく「滝山浄水場」が完成しました。
松山浄水場と同じく猪名川の水で水道水を作っていました。
昭和55年3月
久代3丁目付近に久代浄水場が完成しました。
猪名川の水ではなく井戸から汲み上げた地下水で水道水を作り、市の南部地域に送っています。
昭和57年10月
「兵庫県営多田浄水場」が完成しました。
猪名川の水を使って水道水を作り、多田地区などに送るようになりました。
昭和59年3月
川西市北部地区に「一庫ダム」が完成しました。
洪水の被害を少なくし、雨量が減った時に農業用や水道用の水を生み出す目的を持ったダムです。
平成元年10月
松山浄水場と滝山浄水場が廃止されました。
代わりに多田浄水場の水道水を市内に送るようになりました。
平成7年1月
阪神・淡路大震災が発生しました。
水道管や下水道管などが被害を受け、約7,000の家で水道が使えなくなりました。
平成14年8月
この年は降雨量が少なく、一庫ダムの水位もかなり下がり、渇水(かっすい)にとなりました。
その為、市内で節水を呼びかけ、水を大切に使うようにお願いをしました。
平成23年4月(1)
この年に組織統合により「川西市上下水道局」が誕生しました。
平成23年4月(2)
災害備蓄水として「きんたくんの力水」を3万本作成しました。
一部は東日本大震災の救援物資として宮城県南三陸町へ送られました。
平成23年6月
上下水道局広報誌として「かわにしの上下水道」を発行しました。
平成29年6月
上下水道局広報誌を「かわにしの水道・下水道」にリニューアルしました。
令和4年8月
災害備蓄水のラベルを「川西市のもしもに備えた優しい水」にリニューアルしました。
令和4年12月
上下水道局広報誌を「清和水 KIWAMI」にリニューアルしました。
下水道の歴史
昭和41年4月
猪名川の水質を守るため、川西市、豊中市、池田市、箕面市、伊丹市の5市で汚水を処理する「原田処理場」を豊中市に建設しました。
川西市の汚水は、この原田処理上で処理されています。
昭和43年12月
川西市の公共下水道事業がスタートしました。
昭和44年4月
「川西市火打前処理場」が完成しました。
当時、川西市に多くあった皮革工場から出る排水を処理することを目的としていました。
昭和49年10月(1)
原田処理場につなぐ猪名川流域下水道に、川西市で初めて小戸・美園・小花地域の汚水が流せるようになりました。
平成49年10月(2)
「前川雨水ポンプ場」が完成しました。
川西能勢口駅周辺で大雨が降った時に、川より低い場所にある建物への浸水を防ぐ為、作られました。
昭和56年3月
加茂雨水ポンプ場」が完成しました。
加茂地区周辺で大雨が降った時に、川より低い場所にある建物への浸水を防ぐ為、作られました。
平成23年3月
皮革工場の廃止に伴い、「火打皮革汚水前処理場」も廃止となりました。
令和元年12月
川西市のマンホールカード第1弾の配布を始めました。
令和2年12月
川西市のマンホールカード第2弾の配布を始めました。
令和3年11月
川西市のマンホールカード第3弾の配布を始めました。
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