上水道の歴史
ページ番号1016583 更新日 令和5年3月23日 印刷
川西 の上水道 はどんな歴史 を歩 んで来 たんだろう?
一緒 に見 てみよう!
上水道の歴史
昭和29年2月
となりの池田市 から水 を送 ってもらって、川西町 としてはじめて水道 ができたよ。
その半年後 の昭和 29年 8月 に川西町 、東谷村 、多田村 が一緒 になって川西市 が誕生 したよ。
昭和33年1月
出在家町付近 に「松山浄水場 」ができたよ。
猪名川 の水 を使 って、川西市 で水道水 が作 れるようになったんだ。
昭和42年4月
この頃 、川西市 では団地 開発 などで急 に人口が増 えていたんだ。
そこで滝山町 付近 に新 しく「滝山浄水場 」ができたよ。
松山浄水場 と同 じく猪名川 の水 で水道水 を作 っていたんだよ。
昭和55年3月
久代
3丁目
付近
に「久代浄水場
」ができたよ。
猪名川
の水
ではなく井戸
からくみ上
げた地下水
で水道水
を作
って、市
の南部地域
に送
っているよ。
昭和57年10月
「兵庫 県営 多田 浄水場 」ができたよ。
多田 地区 などに水 を送 るようになったよ。
多田 浄水場 は猪名川 の水 を使 って水道水 を作 っているよ。
昭和59年3月
川西市 北部 地区 に「一庫 ダム」ができました。
洪水 の被害 を少 なくし、雨 の量 が減 って水 が少 なくなった時 に農業用 や水道用 の水 を生 み出 す目的 をもったダムなんだよ。
平成元年10月
松山 浄水場 と滝山 浄水場 をなくしました。
かわって多田 浄水場 の水道水 を市内 にくばるようになったんだよ。
平成7年1月
阪神 ・淡路 大震災 が発生 しました。
水道管 や下水 道管 などがこわれて、約 7,000のお家 で水 が使 えなくなってしまったんだよ。
平成14年8月
この年 は雨 の降 る量 が少 なかったため、一庫 ダムの水 がとても少 なくなってしまったんだ。
たくさんの人 に水道水 を大切 に使 うようにお願 いをしたんだよ。
平成23年4月
この年 に組織統合 により「川西市上下水道局 」が誕生 したよ。
災害備蓄水 として「きんたくんの力水 」を3万本 作成 したよ。
一部 は東日本大震災 の救援物資 として宮城県 南三陸町 へおくったんだよ。
平成23年6月
上下水道局 広報誌 として「かわにしの上下水道 」を発行 したよ。
平成29年6月
上下水道局 広報誌 を「かわにしの水道 ・下水道 」にリニューアルしたよ。
令和4年8月
災害備蓄水 のラベルを「川西市 のもしもに備 えた優 しい水 」にリニューアルしたよ。
令和4年12月
上下水道局 広報誌 を「清和水 KIWAMI」にリニューアルしたよ。
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