文化財資料館の施設説明

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ページ番号1003076  更新日 令和5年10月3日 印刷 

定例イベント

勾玉作り・栄根銅鐸のペーパークラフト作り

勾玉と栄根銅鐸のペーパークラフトの写真
勾玉と栄根銅鐸のペーパークラフト

 ロウ石をけずって勾玉を作ったり、栄根銅鐸のペーパークラフトを作ることができます。自分だけの勾玉や銅鐸を作ってみませんか。


開催日:土曜日、日曜日、祝日
受付:1回目は午後1時から、2回目は午後2時30分から
対象年齢:不問
定員:各回6人程度(予約不要、先着順)
費用:勾玉作りは50円、栄根銅鐸のペーパークラフトは無料
備考:団体での参加をご希望の場合は、事前にお問い合わせください。団体での参加は平日のみ受け付けております。
問い合わせ:文化財資料館(電話072-757-8624)

たんけんてちょう

たんけんてちょうの写真
たんけんてちょう

 きみはもう持っているかな。すてきな「たんけんてちょう」。文化財資料館には、変わった形のものや不思議なものがたくさん展示されています。「たんけんてちょう」を見ながら、文化財資料館をじっくり探険してみてください。


開催日:開館中は毎日
費用:無料
対象:小学校1年生くらいから、お一人でも楽しめます。
問い合わせ:文化財資料館(電話072-757-8624)

主な展示物

加茂遺跡出土の土器(約2000年前)

加茂遺跡から出土した土器の写真

約2千年前の大集落 加茂遺跡
 加茂遺跡は、川西市南部の加茂1丁目、南花屋敷2丁目・3丁目に広がる旧石器時代から平安時代にかけての遺跡です。大正4年(1915年)、笠井新也氏によって多量の弥生土器・石器の散布が発見されて以来有名になり、昭和11年には採集資料を展示した宮川石器館が地元に開館しました。
 その後の発掘調査では、およそ2千年前の弥生時代中期に近畿地方を代表する約20ヘクタールもの大規模集落に発展することがわかり、平成12年には集落中心部が国の史跡に指定されました。また、居住区・墓地などの集落構造、防御のための環濠、集落を束ねる首長の住居と思われる大型建物なども明らかになってきています。
 展示室では、加茂遺跡出土の弥生土器や石器が見学できます。弥生土器は、壺・甕・高坏・鉢・水差形土器などの豊富な種類があり、魚を描いた土器や河内地方からもたらされた土器などもあります。石器は、狩猟具や武器などの石鏃・石剣、稲の収穫のための石包丁、木材加工用の石斧などが出土しています。

栄根銅鐸(約1800年前)のレプリカ

栄根銅鐸(レプリカ)の写真

約100年前に出土、巨大銅鐸の謎 
 文化財資料館の展示室でひときわ目立つのが、高さ1.14メートルの栄根銅鐸(複製品)です。明治44年(1911年)加茂遺跡の東側崖下(加茂1丁目)で出土しましたが、当時は栄根字井坂の地名であったことから栄根銅鐸の名称で呼ばれてきました。銅鐸は、ベルのように内側に棒を垂らして音を鳴らすもので、約2千年前の弥生時代の祭りに用いられたと考えられています。銅鐸の多くは30から40センチメートルの大きさで、釣り下げるのに適していますが、弥生時代末期には栄根銅鐸のように巨大化し、なかでも滋賀県野洲市出土ものは最大で1.35メートルもあります。栄根銅鐸はこれには及びませんが、全国でも5、6番目の大きさとなります。加茂遺跡は、弥生時代中期(紀元前3世紀から紀元前1世紀)に全国的にも有数の巨大集落(約20ヘクタール)に発展しますので、巨大銅鐸を保有していたと言いたいところですが、なぜか栄根銅鐸は集落が小さくなる弥生時代後期末(2世紀)のものです。それでも、現在の鴨神社周辺にある程度の大きさの集落が残りますので、そこには巨大銅鐸を持つ有力な首長がいたのかもしれません。

画文帯神獣鏡(約1500年前)

勝福寺古墳出土の画文帯神獣鏡の写真

勝福寺古墳 古代豪族が眠る古墳
 火打2丁目の丘の上にある勝福寺古墳は、明治24年に偶然発見され、横穴式石室から銅鏡・鉄刀など豊富な副葬品が出土しました。最近では、大阪大学考古学研究室と川西市教育委員会で合同発掘調査が行われ、多くの成果が得られています。
 墳丘は、全長約40メートルの前方後円墳で、墳丘上には多くの埴輪が並べられていました。埴輪は円筒形がほとんどですが、家形や甲冑形などの形象埴輪も出土しています。明治時代に発見された横穴式石室の位置は後円部にあたります。当時では最新式の横穴式石室にあたることや、出土した銀象嵌竜文刀、画文帯神獣鏡などの優れた副葬品により、中心的な人物の埋葬施設と考えられます。また、平成16年の発掘調査ではやや小型の第二横穴式石室が見つかりました。やや新しい時期の石室で、子孫が葬られたものと思われます。一方、前方部では昭和46年の発掘調査で金製耳環、銀製クチナシ玉などを副葬した木棺が見つかっていますが、中心的な人物の兄弟など親族と見られます。
 勝福寺古墳が築かれたのは6世紀の初め頃で、葬られた人物は川西市南部周辺を支配した首長とその親族であったと考えられます。大規模な古墳ではありませんが、古墳のなかでは格式の高い前方後円墳形の墳丘をもつことや、最新式の横穴式石室をいち早く築いていること、優れた副葬品などからすると、有力な豪族だったのでしょう。

墨壺(約1300年前)

栄根遺跡出土の木製墨壺の写真

奈良時代の落としもの栄根遺跡出土の木製墨壺
 皆さんは大工さんが製材のために木材へ長い直線を引く墨壺という道具を知っていますか。墨壺とは、糸車に巻いた糸を墨に浸し、まっすぐ延ばして垂直に弾くことで墨線を引く道具で、現在も使われています。
 日本最古の墨壺は、滋賀県で出土した6世紀後半のものと考えられていますが、これに続くものとして、川西市南部の栄町、現在の栄南団地の地下に広がる栄根遺跡から奈良時代の墨壺が出土しており、県の重要有形文化財になっています。通常、木製品は腐食して残らないことが多いのですが、栄根遺跡の墨壺は自然河川に埋没し、空気に触れることなく奇跡的に良好な状態で発見されました。 
 墨壺は寺院などの造営に不可欠な道具ですが、なぜ集落遺跡の栄根遺跡から出土したのでしょうか。そこで、栄根遺跡の北西側の高台に位置する奈良時代創建の可能性がある栄根寺との関連が考えられます。栄根寺の創建に関わった大工さんが高台の下の自然河川に大切な墨壺を落としてしまったのかもしれませんね。

団体見学の受付について

土器の接合作業風景の写真

 学校の社会見学や、サークル・自治会での見学など、団体見学も承っております。事前に予約をしていただくと、時間や解説内容などのご要望にお応えしやすくなります。資料館の受付、または電話でお申し込みください。
 また、団体見学の場合のみ、通常非公開の出土遺物整理作業室を見学できます。作業室では、川西市内の遺跡で発掘された土器や石器の洗浄、土器の破片の接合、作図など、いろいろな作業をしています。
 なお作業室の見学を希望される場合は、団体見学予約の際にお申し出ください。

おすすめの本

かわにし文化財めぐり

啓発冊子「かわにし文化財めぐり」の写真

神社・寺院・遺跡など、川西市の様々な文化財を紹介している本です。文化財についての解説や、文化財がある場所の案内や地図ものっており、ウォーキングや史跡めぐりに最適です。ぜひご覧ください。


販売価格:600円
販売箇所:川西市文化財資料館・川西市郷土館・川西市生涯学習課


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市民環境部 生涯学習課

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電話:072-740-1244 ファクス:072-757-4844
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