みらいフォーラム
川西みらいフォーラムが平成13年2月17日(土曜日)みつなかホール文化サロンにて開催されました。基調講演では近畿大学助教授の久 隆浩 先生から「市民と行政の協働のまちづくり」というテーマでご講演をいただきました。以下にその概要をご紹介いたします。
川西みらいフォーラム 基調講演 概要報告
テーマ 市民と行政の協働のまちづくり
講師 久 隆浩 近畿大学助教授
市民参加は21世紀型まちづくり
市民参加が、なぜ今、全国的に、あるいは世界的にも拡がっているのでしょうか。これは単に今だけのブームではなく、市民参加が21世紀の新しいまちづくりの方法論だからだと、私は思っています。
いままでも皆さんはまちづくりに対するいろんな思いを持っていたけれども、それが実現することは少なかったのではないでしょうか。そこで「なぜいままで実現しなかったのか」ということを考えることが、これから先のためには重要ではないかと思います。それには、いろいろ原因がありますが、まず皆さんと共有しておきたいことは、「私たちの思い」が、本当に「私たち」のものなのか、「私」の思いだったんじゃないか、ということです。子どもが親に何かをねだる時、「だってみんな持っているもん」と言いますが、「みんな」の名前を挙げさせたら2人くらいしかいなかったりしますよね。これと同じで、「私の」思いが「私たちの」思いにすり替わっていることがあるのではないかということです。どれだけ多くの署名を集めたからといっても、それに署名しない市民がいることも確かで、こうした異なった意見の調整が今までできていなかったと思います。
市民と行政の関係を見る上で特徴的なエピソードをお話しします。例えば、ある市民が、秋に落ち葉が落ちると困るというので、木を切って欲しいと市役所に電話をかけます。そこで、電話を受けた市役所は木を切りに行きます。すると次の日には、また別の市民から「どうして木を切ったんだ、貴重な木だったのに」と木を切ったことを批判される。これが今までの市民と行政の関係の典型例ではないかと思います。
ここで問題となるのは、市民の側では市民同士の間で意見の調整ができていないということです。そして、行政の側では、早めに言った人や大きな声の人、圧力を持っている人に反応してしまうことです。この関係を作り直していかないと、まちづくりの関係も改善していかないのではないでしょうか。
それではどうすればいいんでしょうか。私も十数年悩んできました。どうすれば協働ができるのか、最初は手探り状態で、試行錯誤を続けてきましたが、やっと今、整理ができた気がしています。
旧来の制度を見直す時代
先ほど、市民参加型、市民主体、というのは21世紀の形だと言いましたが、では20世紀はどうであったのか、ということを考えてみたいと思います。私は、20世紀、あるいは近代、というのは「制度の時代」だったのではないかと思います。
私たちは、法律や貨幣制度など、色々な制度によって社会を運営してきました。歴史的に見てみると、中世はきちんとしたルールのない、ある意味で混沌としていた時代でした。それが近代になって、うまく生活ができるように、色々な制度を生み出してきました。これが近代の特徴だと思います。そして、それがいろんな面ほころびを見せているのが、今の時代ではないかと思うのです。少年犯罪をとってもそうですね。法律、制度というのは守ってこそ意味があるんですが、守らない人が増えてきました。制度に従ってやってきたけれども、本当にそれでいいのか、見直す時期にきているのではないかと思います。
アメリカなどでは、「修復的司法」と言って、加害者と被害者が直接、面と向かうことによって、二度と犯罪を起こさないようにするやり方がでてきています。つまり法律で裁くのではなく、お互いが心を通いあわせて自分を変えていく、という試みがなされています。このように、コミュニケーションによって社会を変えていくのが21世紀だと思います。
皆さんがこうして「みらい工房」で集まって、話し合いをすること自体がコミュニケーションだと思います。それによって思いを一つにしていく試みだったのではないかと思います。これが21世紀型なんです。しかし、その作業は決して簡単ではありません。このことは、参加した皆さんには実感としてわかると思います。制度の場合は、単に従うだけですから、とても楽です。しかし、意見を交換し、コミュニケーションを取りながら進めていくのは、本当に大変です。でも、それは不可欠なことなんです。
コミュニケーションを取るということ
相手が果たしてコミュニケーションの能力を持っているかどうか、わからないことが不安材料の一つです。例えば違法駐車というのは当然ながら違法行為ですが、それでも簡単にやってしまう。これは法律が成り立たない例だと思います。コミュニケーションによってこれをなくすとなると、難しいですね。下手したら殺されるかも知れない。そこまでいかなくても殴られるかも知れない。コミュニケーションを取りたくても、相手がその手段と能力を持っていなかったらうまくいかないんです。そうなると拠り所がなくなって、どうしたらいいのか、混沌としてきます。でも、その能力を取り戻さないといけないんです。街の中にそういう仕組み作りをしていかないといけないと考えています。
コミュニケーションを取ろうとする時、そのルールを考えておくと、うまくいくかも知れません。このルールは、大きく二つあります。
一つはお互いを認め合うことです。これは、当たり前の話ですが、なかなか当たり前にはできないものです。お互いを認め合うには、対等な立場で話し合うことが必要です。上司と部下、親と子、一人ひとりの個人として、対等な関係ができているかというと、なかなかそうではないと思います。
もう一つは、きちんと相手の立場をわかって聞いているだろうか、相手を尊重しながら、自分の話を重ね合わせているだろうかということです。これも当たり前のことですが、現状ではうまくいっていないのではないでしょうか。
そして、もう一つ言うならば、違いを認め合うということです。これも当たり前のことですが、できていません。話し合いの場に集まった途端に、みんなと意見を合わせようと思ってしまう。あるいは逆に、自分の色に染めてしまおうと思ってしまう。けれども人間は、一人として同じ人は、決していないんです。そこからスタートしないといけないと思います。そう考えられるかどうかによって、次の道筋は違ってきます。違いを前提としていれば、かみ合わなくても当然だと思えるけれども、同じだと思っていたら、イライラしてきます。「同じだ」ということからスタートすれば、違いに苛立ってしまうけれども、「違う」というところからスタートすれば「前は全然違うと思っていたけれど、話しているうちに一緒のことを考えていた」ということがわかった時、喜びにつながります。
今までは、「みんな同じ」というところからスタートしたり「すぐに同じになろう」としたりするところで、問題があったんじゃないでしょうか。すべての面で「同じ」になる必要はないんです。気持ちの一点で「同じ」であれば、あとは何とかなると考えればいいのではないでしょうか。「川西をさらにいい街にしたい」とみんなが思っていれば、その一点で共通していれば、どうにかやっていけるのではないかと思います。
「ツリー型」から「ネットワーク型」へ
次に、21世紀型の社会の中で、どのような変化が起ころうとしているのか。それにどのように対応していったらいいのか、ということをお話しします。21世紀は情報社会、あるいはネットワーク社会と言われています。では今までとは何が違うのかというと、インターネットを思い浮かべて欲しいと思います。2年前にインターネットを使われていた方はこの中でも少ないのではないかと思いますが、今は非常に多くの市民が使うようになっています。このインターネットの進展が、ネットワーク社会を形成するのに貢献しているんですが、それに対応するにはどのようなことが要求されるのでしょうか。
これは組織を見ると、わかりやすいと思います。組織でいうと、今までは「ツリー型」が主流でした。部があって、その下に課があって、その下に係がある。それが今までの社会を成り立たせていました。それがネットワーク型になった、ということなんです。
まず、ツリー型の特徴は、縦型ということです。私たちの神経もツリー型ですね。脳から末端神経へと連なっています。それに対してネットワーク社会というのは、一人ひとりが対等なんです。例えば私がお手伝いしている、ある市役所では一つ典型的なことが起こっています。その市役所では、庁内の情報化が進んでいて、常にパソコン上でメールを使って情報交換をしています。部長に対する文書も紙ではなく、パソコン上で配布します。これが、実は単にパソコンが行き渡るというだけにとどまらず、市役所全体を揺るがしているんです。
例えば、総合計画プロジェクトチームの20代の若手職員がいますが、総合計画を動かしていくために助役に直接メッセージを送っているんです。平の職員が助役と直接話ができて、自分の思いを直接ぶつけることができるんです。そうすると課長は「じゃあ私の立場はどうなっているんだ」となってきます。これは今までのやり方を変えていく典型だと思います。従来であれば、平の職員はまず係長に話をあげて、そこから課長にあげて、としてやってきました。しかし、このネットワーク型では、肩書がなくなり、直接話ができるようになった。課長はこれをコントロールできないんです。
ツリー型というのは、もともと管理をする目的で作られたものです。だから上にいる人は管理職と呼ばれるんですね。しかし、ネットワーク型組織ではこの管理が利かなくなります。だからインターネット上で犯罪が増えているとも言えます。しかし、犯罪がコントロールできないということよりも、インターネット自体がコントロールの利かないものと捉える必要があると思うんです。だから、インターネット上では、自分で自分の行動に責任を持つことが求められてくるのです。自分のルールによって自分を動かす。これが最近よく言われる「自律」ということです。今までのツリー型は管理型であったのに対し、ネットワーク型は自律型なんです。倫理ということがよく言われますが、それは自律のもとになるものです。
もう一つは組織の大きさです。ツリー型は大きな組織を管理するのに向いています。市役所でも、職員がたくさんいるけれども、だれも悪いことはしません。これは考えてみたらすごいことです。これはツリー型で組織が構成されているからです。一方、ネットワーク型社会は、小さな個人やグループが緩やかに連携していく社会です。ボランティアやNPOの活動が期待されていますが、これからはそうした小さい組織が社会を動かしていく時代です。
このようにかなり大きく社会が変わっていく、そういう時代であることを認識しないといけないと思います。社会全体の構造を21世紀型に変えていかないと、持ちこたえられないんじゃないかと思います。もっと全体を見直していく必要がありますが、これはかなり大変ですけれど、できることから着々とやっていかないといけません。
「エンパワーメント」と「ファシリテーター」の役割
ここで、この社会を動かす一人ひとりの人間やグループの核となるキーパーソンの人たちが、どういう動きをしないといけないのか、というお話をします。
最近よく言われる「エンパワーメント」が一つのキーワードだと思います。わかりやすく言えば、個人がすでに持っている力をうまく引き出すことです。それがエンパワーメントです。これができる人がこれからのリーダーになると思います。一人ひとりの能力をうまく引き出し、ばらばらな個をうまくまとめる人です。エンパワーメントとは、北風と太陽の寓話の太陽のように暖かく包むことによって、一人ひとりをその気にさせて動いてもらうということなのです。これによって一人ひとりの素養も変わってくると思います。
そしてもう一つ、「ファシリテーター」というのもよく最近使われている言葉です。私の仕事の多くがこの役割で、皆さんの意見をうまく引き出して、対話がうまくいくようにすることです。みらい工房での私の役割もファシリテーターにあたります。
ここで、ファシリテーターの原則をご紹介します。たくさんの人の話し合いをうまく進めるには、一つだけ条件があります。それは、「自分は動かない」ということです。例えば、あるイベントを企画し、それを実行しようとした時、まずグループに分かれて話し合いをするとなったとします。くじ引きで、グループ分けを行いましたが、分かれた途端「友達といっしょのグループになりたい」という人が出てきました。こんな場合、市役所の人だったらどうするかと言いますと、おそらく自分でさばこうとして、「そうすると収拾がつかなくなるから、我慢してくれ」と言うと思います。けれどもそうすると、「融通が利かない」と言われて、批判はその市役所の人に集中してしまいます。
ではファシリテーターはどうするかというと、「友達といっしょのグループになりたいと言っている方がおられますが、皆さんいかがですか?」というように、そのままみんなに返すんです。そうすると、そういう人のことをみんなは身勝手だと思っていますから、収まるところに収まるものです。つまり、ファシリテーターは自分で答えを持っていても、それを絶対に言わないということです。もう一度皆さんにお返しする。そうすると、自分と同じ考えの人が必ずいますから、その人にお任せする。
しかし、逆に出しゃばらないといけない時もあります。それはどういう時かというと、このメンバーの中からは出ないが、とても大事な意見がある時です。例えば、そのメンバーの中には障害当事者がいないけれども、障害当事者の視点が必要な時などは、その視点が欠けていることを、指摘することも必要です。
究極はファシリテーターがいなくても話が進む、というのが一番いいんですが、もう一つ、重要なことは、話の方向整理をしていくということです。例えば「ここまでは共有できているけれども、ここからは違う」というように整理をしてあげることです。
「まちづくりサロン」について
さて、今まで抽象的な話が多かったですが、では具体的に何が必要なのか、ということを例をあげてお話ししたいと思います。それは、まちに「まちづくりサロン」が必要だというお話です。「まちづくりサロン」というのは、みんなが気軽に集まれる場所で、対話、話し合いができる場所のことです。
あるところで都市計画マスタープランを作ることになって、今と同じような話をさせてもらいました。すると、「おまえの話はどうでもいい。俺たちに話をさせろ。今までの都市計画は市役所が勝手に進めていたじゃないか」という人がいました。けれども、3回目くらいからは、こういう文句を言っていた人も、何となく落ち着いて話ができるようになってきます。このように、まちづくり、特に都市計画の話で集まろうという時は、かなり身構えます。でも、経験上、2回くらい我慢したら、何とかなるものです。しかし、いつもそれでは大変だから、もう少し力を抜いて話ができるようにする、それが「まちづくりサロン」です。
それでは、これまでどうして身構えてしまったかというと、それは、こうした集まり方がすべて「課題解決型」だったからです。それに対してこれからは、「予防型」でいかないといけないと思います。「みらい工房」に参加した方も、最初は自分あるいは自分たちの抱える課題解決のために参加した人がほとんどだったんじゃないかと思います。でも、何度か対話を重ねるうちに変わってきたんだと思います。
ところで、この「まちづくりサロン」で何をするかというと、月に1~2回、そこに来たらみんなが集まっているという場にしたらいいと思います。八尾市では、4月から、各小学校区で「まちづくりラウンドテーブル」という名称でスタートする予定です。
実は、江坂で事業者の方たちが中心となって、このような動きをやっている例があります。もともと企業が200社くらい集まって活動をしているところへ、私もかつて招かれてお話ししたことがあるんですが、そのとき、「地域に組織を作って、そこには、企業の方だけではなくいろいろな立場の方が入るべきだ」と申しあげたら、早速、この企業の協議会が中心となって、自治会、学校長にも自分たちで呼びかけ、会合を繰り返し開くようになりました。そこにはいろんな立場の人が参加していますが、場所があるというだけで行動力が変わってくるんです。例えば、具体例をあげますと、違法看板対策に市民が乗り出しています。違法看板の撤去は府県しかできませんが、大阪府の方に話をすると、取り締まりはできないが、監視役になってもらうことはできる、ということになりました。目に余る看板があったら連絡してくれたら出動できる、という話になったんです。こうしたことも、住民が話し合いをする場所があったからこそだと思います。
最後に「まちづくりサロン」について重要なことをお話しします。そこにはいろんな立場の人が集まって来られるようにしないといけないということです。今まで、自治体の人が、市民の会合にあまり参加しなかったのは、「行政の代表」ということで責められるのが怖かったからです。でも、そうではなくて、色々な人が安心して集まれるようにすることが必要だと思います。
また、「まちづくりサロン」では、活動するのではなく、対話をすることに専念するということも重要です。活動をすると、どうしても「色」が出てきてしまいます。そうすると、参加していない人からは「あの活動をするためのサロンだ」と思われて、その活動に賛同しない人は集まらなくなってしまいます。だから、話し合いのみに専念し、活動はそれぞれ別の組織で行うことにすればいいと思います。
ただ、「まちづくりサロン」を実際に作っても、本当に人が集まってくれるかどうか不安かも知れません。でも、「一人でもいいじゃないか」と開き直ることが必要だと思います。今までは何かをするとなると、人をたくさん集めないといけないと思っていたのでしょうが、集まれる人だけでいいと思うんです。
また、まちづくりに対する皆の無関心を非難する人もいますが、無関心というのは、たいていあきらめによるものなんです。「まちづくりサロン」に自分が問題を持ち込み、それでまちが変わるんだという実感を持つことができたら、参加する人も増えるんじゃないでしょうか。文句を言ったり、人を責めたりしても、そう簡単に課題は解決しないでしょう。それよりも自分は何ができるかということを考えたら、その動きはどんどん拡がっていって、まちは変わっていくんじゃないかと思います。
これからみらい工房の報告がありますが、この報告を創造的なものと捉え、どこに賛同できて、どこにできないのか、ご自分の考えと照らし合わせて考えていただきたいと思います。
